イーサリアムは2024年3月に「Dencun」アップグレードを完了させ、レイヤー2のガスコストを劇的に削減することに成功しました。しかしイーサリアムの進化はそこで止まりません。次のマイルストーンとして注目を集めているのが「Pectra」アップグレードです。Pectraはプラハ(Prague)とエレクトラ(Electra)という二つの改善提案セットを組み合わせた名称であり、実行レイヤーとコンセンサスレイヤーの両方にまたがる包括的な変更を含んでいます。本記事では、Pectraが実装する主要なEIP(イーサリアム改善提案)を一つひとつ丁寧に解説し、この大型アップグレードがエコシステム全体にどのような影響をもたらすのかを詳しく説明します。
Pectraアップグレードの概要と背景
Pectraという名称の由来
イーサリアムのアップグレードは歴史的に星の名前や都市の名前を組み合わせて命名されてきました。Pectraの場合、実行レイヤー側の変更を「Prague(プラハ)」、コンセンサスレイヤー側の変更を「Electra(エレクトラ)」と呼び、これを合わせて「Pectra」という名称が使われています。Dencunの際も同様に、実行レイヤーの「Deneb」とコンセンサスレイヤーの「Cancun」を組み合わせた命名法が採用されていました。
Dencunからの流れとPectraの位置づけ
DencunアップグレードではEIP-4844(Proto-Danksharding)が実装され、ブロブ(blob)トランザクションという新しいデータ格納方式が導入されました。これによりオプティミズムやアービトラムといったロールアップ型レイヤー2のガスコストが最大で90%以上削減されるケースも見られました。Pectraはその次のステップとして、ユーザーエクスペリエンスの根本的な改善、バリデータ運用の効率化、そして開発者向けツールの強化という三つの軸で進化を遂げることを目指しています。
EIP-7702:アカウント抽象化の実現
EIP-7702の基本的な仕組み
EIP-7702は、Pectraにおける最も注目度の高い変更の一つです。これはEOA(外部所有アカウント)と呼ばれる通常のウォレットアドレスに対して、スマートコントラクトのコードを一時的に委任する機能を追加するものです。従来のEOAはトランザクションを送信する際に必ずETHでガス代を自身で支払う必要がありましたが、EIP-7702が実装されると、ガス代の代払い(スポンサーシップ)や複数のオペレーションをまとめて実行するバッチトランザクションなどが可能になります。
ユーザー体験への具体的な影響
EIP-7702の実装により、ユーザーはETHを持っていなくてもERC-20トークンでガス代を支払えるようになる可能性があります。たとえばUSDCやUSDTといったステーブルコインをガス代として利用するシナリオが現実的になります。また、DeFiアプリケーションにおいて承認(approve)とスワップを一つのトランザクションで完結させることができるようになるため、操作の手間が大幅に減少します。さらに、複数のウォレットアドレスから一つのスマートアカウントを共同管理するマルチシグ的な運用も容易になります。
EIP-7251:バリデータの最大残高引き上げ
現行の32ETH上限が抱える課題
現在のイーサリアムコンセンサスレイヤーでは、一つのバリデータが有効化できるETHの上限は32ETHに設定されています。これはプルーフ・オブ・ステークへの移行(マージ)時に設定された値ですが、ステーキングプールや大規模なオペレーターにとっては大きな制約となっています。たとえば1000ETHをステーキングしたい場合、31個以上のバリデータを別々に管理する必要があり、オペレーションのコストと複雑性が増加します。
EIP-7251が解決する問題点
EIP-7251は、バリデータの最大有効残高(MaxEB)を現行の32ETHから2048ETHへと引き上げることを提案しています。これにより、大規模なステーキングオペレーターは保有するバリデータ数を大幅に削減しながら同等のETHをステーキングできるようになります。バリデータ数の削減はネットワークへの署名メッセージ数の減少につながり、コンセンサスレイヤーの帯域幅と処理負荷を軽減する効果が期待されます。個人ステーカーにとっても、報酬の複利効果を自動的に得られるメリットがあります。
EIP-7002:実行レイヤーからの引き出しトリガー
現行の引き出しプロセスの制限
現在のイーサリアムでは、バリデータのステーキング報酬や元本の引き出しは、バリデータキー(BLS鍵)によってのみトリガーできます。しかしバリデータキーと引き出しアドレスを別々の主体が管理しているケース(たとえばステーキングプールやリキッドステーキングプロトコル)では、引き出し処理が複雑になり、片方の鍵が失われた場合にETHがアクセス不能になるリスクがありました。
EIP-7002による改善内容
EIP-7002では、実行レイヤーのアドレス(引き出しアドレスとして設定されているEOAまたはスマートコントラクト)からも引き出し要求をトリガーできるようにする変更が加わります。これはリキッドステーキングプロトコル(LidoやRocket Poolなど)のアーキテクチャに大きな影響を与えます。スマートコントラクトが直接バリデータの引き出しを制御できるようになるため、プロトコルの設計がよりシンプルかつセキュアになると期待されています。
EIP-7549とEIP-7594:コンセンサスレイヤーの最適化
EIP-7549:委員会インデックスの移動
EIP-7549は、アテステーション(バリデータによるブロックの証明)のデータ構造を変更し、委員会インデックスをアテステーションデータから外部に移動させるものです。技術的には細かい変更ですが、アテステーションの集約効率が向上し、コンセンサスレイヤーの処理負荷が軽減されます。特にEIP-7251によるバリデータ統合が進んだ際のスケーラビリティ改善に寄与すると考えられています。
EIP-7594:PeerDASによるデータ可用性の強化
EIP-7594(PeerDAS)はDankshardingへの道程における重要なステップです。Dencunで導入されたブロブのデータ可用性サンプリングをピアツーピアネットワークレベルで実現するための仕様変更を含んでいます。PeerDASが完全に実装されると、現行のブロブ数上限(1ブロックあたり最大6ブロブ)をさらに引き上げる道が開かれ、レイヤー2のスループットをさらに向上させることが可能になります。
EIP-2537:BLS12-381プリコンパイルの追加
BLS署名とイーサリアムの関係
BLS12-381は、イーサリアムのコンセンサスレイヤーでバリデータの署名に使用されている楕円曲線暗号です。現行の実行レイヤー(EVMスマートコントラクト)からこの署名を検証しようとすると、非常に高いガスコストがかかるため事実上利用不可能な状況でした。EIP-2537はBLS12-381の主要な演算(加算、スカラー乗算、マルチ乗算、ペアリングチェック、ハッシュtoG1/G2)をEVMプリコンパイルとして追加することを提案しています。
開発者への恩恵
EIP-2537が実装されると、スマートコントラクト上でコンセンサスレイヤーのバリデータ署名を効率的に検証できるようになります。これはブリッジプロトコルやDVT(分散型バリデータ技術)を実装するプロトコルにとって特に重要な意味を持ちます。また、ゼロ知識証明システムにおけるオンチェーン検証の効率化にも貢献します。
EIP-6110とEIP-7685:デポジット・リクエスト処理の改善
EIP-6110:デポジット処理のオンチェーン化
現行のイーサリアムでは、バリデータのデポジット(ETHのステーキング)はデポジットコントラクトへのトランザクションを通じて行われますが、そのイベントがコンセンサスレイヤーに反映されるまでに一定の遅延(通常約8時間から数十時間)が生じます。EIP-6110はこのデポジット情報を実行ブロックのペイロードに直接含めることで、遅延を最小化し、デポジットの処理をよりリアルタイムに近づけます。
EIP-7685:汎用実行レイヤーリクエスト
EIP-7685は、実行レイヤーからコンセンサスレイヤーへのリクエストを統一したフォーマットで扱うための枠組みを定義します。EIP-6110のデポジット処理やEIP-7002の引き出し処理など、複数のEIPが実行レイヤーからコンセンサスレイヤーへの通信を必要とするため、これらを統合する共通のリクエスト処理メカニズムを整備することが本EIPの目的です。
まとめ:Pectraがイーサリアムにもたらす変革
Pectraアップグレードは、ユーザビリティの向上、バリデータ運用の効率化、そしてスケーラビリティへの布石という三つの観点から、イーサリアムエコシステムに大きな変革をもたらします。EIP-7702によるアカウント抽象化はWeb3の大衆普及を加速させる可能性を持ち、EIP-7251はステーキングエコシステムの構造を根本的に変える力を持っています。各EIPが連携して機能することで、イーサリアムはより使いやすく、より効率的で、よりセキュアなプラットフォームへと進化していくでしょう。
よくある質問
Q1. Pectraアップグレードはいつ実装される予定ですか?
Pectraの本番ネットワーク(メインネット)への実装時期については、開発チームによる継続的なテストとコミュニティの合意形成が進められています。テストネットでの検証が完了し次第、正式なスケジュールが発表される予定です。最新情報はイーサリアム財団の公式ブログやACD(All Core Developers)ミーティングの議事録で確認することを推奨します。
Q2. EIP-7702は既存のハードウェアウォレットに影響しますか?
EIP-7702はEOAにスマートコントラクトのコードを委任する仕組みを追加するものですが、既存のウォレット(LedgerやTrezorなど)の基本的な動作を変えるものではありません。ただし、新機能を活用するにはウォレットアプリケーション側のアップデートが必要となる場合があります。ウォレットプロバイダーの公式発表を参照してください。
Q3. Pectra後の次のアップグレードは何ですか?
Pectraの後には「Fusaka(フサカ)」というアップグレードが計画されています。FusakaではEOFバイトコードの導入やさらなるデータ可用性の拡張などが検討されており、イーサリアムのロードマップに沿った継続的な改善が予定されています。
免責事項
※本記事は情報提供を目的としており、投資を推奨するものではありません。暗号資産への投資は元本割れのリスクがあります。投資判断はご自身の責任で行ってください。